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現場シート

現場シート

 今から30年近く前、どの現場にも廻りにゴミが散乱し、足場に掛けるのは、うす汚いだらしのないシートでした。

 ショールームなど特になくとも、私たちにとって現場こそが最大の情報発信の場。工事中だからゴミが出たり、汚くても良いと思っている以上、現場の環境など変わる訳もありません。

 現場には建物が完成するまで数ヶ月間、いろいろな資材が搬入され、ゴミや廃材も多数発生します。「汚くてあたりまえ」ではなく、「現場は目立つ場所でもあり、きれいな場所であるべき」と考え方を変えれば、現場のイメージも大きく変わるものです。

 足場に掛けるシートを変えよう。だけど誰に頼めば良いのか?

 そこで、当時国鉄(今JR)のトイレの壁に絵を書いていた、松永はつ子さんにお願いすることになりました。

 駅の中で一番汚い所と言えばトイレ。この壁にさわやかな絵を画く事により気持ちの良いトイレに変わるだろう、そんな考え方でアメリカでも仕事をされた方です。
このシートに絵を画く奮闘記が、トイレ壁画デザイナー・松永はつ子さん著書「トイレは夢いろ」に画かれていますので一部をご案内します。

河合工務店の現場シート

 このシートはかなり大きい物で高さ5.4メートル、横1.8メートル、これが10枚ですから全て掛けると18メートル。ゼネコンの現場ではないので全部を掛ける場所など無いけど・何枚でも掛けることにより現場のイメージが変わり少しずつきれいになって行きます。

 こんな事がきっかけで、現在ではずい分どこの現場でもきれいになってきましたね。
今でもこのシートが掛ける場所があれば使用しており、最近では小5、小3の孫が画いたシートも合わせて使っています。

  • 現場シート10枚 全長18m
    現場シート10枚 全長18m
  • 建築現場の目隠しに使用
    建築現場の目隠しに使用

松永はつ子さん著書「トイレは夢いろ」より抜粋

工事現場
(中略)

工事現場は何かゴミゴミした汚いイメージが一般的だそうだ。
汚いイメージを払拭したいというので、現場の建物に掛けるシートに壁画を描いて欲しい、という工務店からの珍しい依頼があった。
以前、フランスで現場用シートに大変スケールの大きい壁画が登場し、さすがはフランス、との話題を呼んでいた。
それは、確か何かのグラビアの記事だったと思う。
現場が終わるとクリーニングするので、一回きりの壁画となるということだった。
こういう注文が舞い込んでくるとは思わないから、私は資料として手元に取っておかなかった。残念だ。
ともかく、面白い話なのでやってみようということになった。
シートは高さが5.4メートル、横幅が1.8メートル、これが10枚並ぶからヨコ18メートルもある大カンバスになる。
トイレの壁画のように囲まれる壁画ではなく、ビルをとり囲むというか包むというか、外に見せる壁画である点が、デザインで苦労したところである。
街並みの景観から考えたら、工事中の数ヶ月間、周囲の人々にほっとする絵を現場に掛ければよいわけである。
10枚を一つのカンバスにして、これに幾重かの山並みを描き、鳥が群れをなして飛んでいる姿を描いた。
工事現場にこそ爽やかな安らぎを与える絵がよいと考えたのだ。


松永さんの製作した 現場シート

1枚のシートが畳6枚分あるから、さて、どこで制作するかが問題だ。
「うちの会議室でいいんじゃないですか」
気安く請け合ってくれたのは塗装店だった。
「何とかなりそうですね」
私も会議室をよく見ないで決めてしまった。
シートは今では普通、ビニール製のを使うのだが、表面がつるつるのビニールにペンキで絵を描いて、いったいどれだけ持つものか私は不安であった。
シートは結局、木綿の厚手のカンバス地で特注することになった。
これならフランスのように一回きり、ではないだろうと思う。数年は持つはずだ。
ペンキはアクリル系の外壁用を使った。
つまり、ラッカーシンナーを使うことになって会議室は約1週間はシンナーの匂いがぷんぷん、もう工事現場の様相を帯びていた。
畳6枚分も会議用テーブルを敷き詰めると、会議室はいっぱいになってしまった。
広いと感じていた会議室には、シート一枚を広げる広さしかなかったのだ。
そこを何とか工夫して何とかやっちゃうのが、人間の知恵だとばかりに(もっとも、私は掛け声だけであったが)挑戦したのだ。

「知恵の輪をやってる気分だよ、ホント」
ペンキ職人さんでいつも制作現場に付き合ってくれるジンパチさんが、大ハッスルしてくれなかったら、とてもではないけどスケジュールどおりには、進行しなかったことだろう。
一番の難点は、シートにペンキをベタ塗りして乾かす場所が無いことだった。
仕方ないので会社の裏のベランダを物干し代わりに利用した。
濡れたシートをベランダまで運び、だらんと吊り下げるのだ。
でも、これもせいぜい2枚しか下げることができない。
シートが乾くのにまる1日もかかるのである。
厚手の木綿地だから、ペンキをたっぷり吸うのである。
壁に塗るとたちまちのうちに乾いてしまうペンキを使ってもなお、こういう具合なのだから、もう、ここまできたら、腹を決めてじっくり乾くのを待つしかないのだ。
「お天気がいいのが、ラッキーだったわ」
とはいうものの、内心、ひやひやで、
(どうぞ、制作中は雨が降りませんように)と祈る思いだった。
が、願いも虚しく、翌日は午後から、天気予報もはずれて、どしゃ降りになってしまった。
「私は、シートをどこに干そうかあれこれ考えて、昨夜、よく眠れませんでしたよ」
「まあ、すみません。私はぐっすり眠ってしまいました(我ながらいい性格だ)」
会議室の壁際に、布団干しのような棒を渡し、シートを横に吊り下げ、これで一枚分は干すことができた。
黒板とテーブルを組み合わせて一枚分、テーブルを切り離して凸凹に干して一枚分、会議室の片隅の書類の山に無理して干してこれでまた一枚分、そして、制作は、シートをテーブルの両端に流しながら3名で絵を描くのである。
室内の湿度は100パーセントに近いことだろう。
朝、描いた鳥が夕方になっても乾かずにべたべたしているのだ。
ペンキが乾かないことには、ちっとも仕事は進まないのだ。
ペンキは乾いた上にまた塗りかさねるのが鉄則であって、白い鳥のように透ける色は何回か塗り重ねるので、乾くのを待って、塗り重ねなくてはならない。シートを干す所さえ自在であれば、こんな心配はしなくてもよいのだが、1日の制作の枚数をきちんとこなしていかないと、次の日に干すところが限定されているから、毎日描いたシートを翌日には完全に乾かし、巻いて片隅に片づけていかなくてはならないのだ。
何が何だか分からなくなりそうで、疲れるのだ。

外が雨だと、室内はシンナーが充満し、喉や目が痛くなる。
髪もバリバリになる。
「ああ、いい匂い! シンナー遊びしているみたいで、懐かしいわぁ」
ヤケになって、私は叫ぶ。
「気象庁とかけあって、明日は何とか、晴れになるよう頼んできて。これもアシスタントの仕事よ!」
と私は八つ当たりをする。
「だいぶ、ラリってますね」
およそ7日間の制作期間中に私が吸ったシンナーは何リットルだったか……終いには、疲れも手伝って頭痛がしてきた。
「どうも、二日酔いみたい。迎えシンナーをあおらないとダメかしら」
私は酒は飲めないが、似たような物で中和できそうな気になってしまうから変だ。
しかし、私がシンナー中毒になる前に何とか、制作は終わった。

ところで、シートを全部並べてどういう出来具合になるものかを、一度見てみたいと思う。
原画は1/25の短縮があり、多少の誤差はあるにしても、壁画のおよその見当はつくのだが、残念ながらは実際にはシート10枚全部を並べて使用することはないということだから、これは、やはり写真に撮っておこう。
でも、シートを吊す広さのスタジオがあるんだろうか、という問題にぶつかった。
学校の体育館、テレビ局のスタジオを片っ端から当たってみた。
どこも、時間や費用の点で決まらない。
「写真はもう、あきらめようかなぁ」
悲壮な思いが胸をよぎったとき、広い空間をたくさん持っている会社は、国鉄だ、そうだ、国鉄に相談してみようと思いついた。
国鉄にも体育館はたくさんあるだろうから、そのうちの一ヵ所ぐらい、空いているかも知れないのだ。
最後まであきらめないゾ。
急にファイトが湧いてきた。私は思い切って、以前、横浜駅でお世話になつた国鉄の人に相談してみた。
「電話を切らずにこのまま、持ってて下さい」
電話の向こうで、交渉中の会話が伝わって来る。待つこと五分だったろうか。なんとOKの返事がきたのだ!
「すごいなあ、こんなややっこしい依頼を5分で決めてくれるなんて。国鉄大好き!」すっかり興奮してしまった私である。

工場がスタジオ

朝、飛び起きると窓から空を見た。
とてもよい天気だ。ああ、よかった。

今日は、現場用シート壁画の撮影だ。
外で撮影するわけではないが、遠く大船まで出掛けるので、何となく、今日は晴れてほしい。
国鉄の大船工場を借りて撮影することになったのだ。
御茶の水にある塗装店を車で出発したのが10時過ぎ、途中、横浜で昼食をとり、大船工場に約束の1時30分ぎりぎりに着いた。
ジンパチさんが大きいワゴン車を運転し、助手席にペンキ屋さんなりたてのまだ二十才そこそこのユウスケ君、
その後ろにはアシスタントのフミエさん、そして、その後ろの席に私。
私は半ば眠りこけて、車のほとんどを占領しているシートの山に寄りかかっていた。
シートが10枚全部一挙に張れる場所は、高さが6メートル、幅が20メートルはないとならない。
幅はともかく、高さ6メートルもある建物は、そうザラにあるものではない。

「もし、お断りでもしたら、タダでは済みそうにない殺気が漂っていた」
半分は冗談に違いないが、大船工場を紹介してくれた国鉄のA氏は苦笑する。
“国鉄クリーントイレ作戦”プロジェクトチームのメンバーであり、国鉄で初めて横浜駅トイレに壁画を実現させた担当者がA氏だった。
一般の人は、今、めったに入れないということだ。
車輌の長さが約20メートルあるそうで、私が依頼したとき、A氏の目には車輌が浮かんだという。
車輌を持ち上げるクレーン車にロープを張ってシートを吊り下げよう、ということになったのだ。
土曜日の午後の今日、国鉄工場の職員が10名もわざわざ出勤しての大騒ぎとなってしまった。
ひとくちにクレーン車といっても数人で動かせる物ではないらしい。
ヘルメットをかぶりながら、どやどやと国鉄の人が出てきた。
「工場にご案内しますから、車でついてきてください」
私たちはまた車に乗り込んだ。
「フミエさんがいないけど、どうしたの?」
どうもトイレに行ったらしいのだが、なかなか出てこない。
「へんねえ、どうしたのかしら」
「おまえ、ちょっと見てこい」
ユウスケ君が、やだなぁ、という顔をして駆け出した。
「どうしました」
国鉄の人も心配して車をバックさせて、引き返してきた。やっと、二人が走って来た。
「ごめーん」
「ずいぶん、待ったわよぉ」
「和式だったから、思わず出てしまった」
美人なのに、どーしてこう色気ないことを平気で言えるのだろう。
私も負けそう。
工場は外から見ると小さく見えるが、工場のなかには、見覚えのある電車の車輌がずらりと並び、修理を待っているもの、胴体をぱっくり切られて、まるで外科手術中かと思わせるようなものがあって、どうも、ここは電車の病院であるようだ。
突然、天井がゴォーッ、と音をたてて動き始めた。
電車の並ぶ工場の端から、クレーン車がこちらへ移動しているところだった。
「これがクレーン車ですかあ!」
私は驚きと感動でいっぱいになった。
 私たちの頭上あたりまで来ると、
「ちょっと下げてみてくれ」
「ここら辺でいいですかね」
ビッ!
鋭い合図音が鳴ると、今度はクレーン車がずんずん下がって来た。
私たちは車からシートを取り出し、クレーン車の下に並べた。
クレーン車は車輌をそっくり持ち上げ移動させるために作られており、ちょうどクレーン車の幅がシート10枚分あった。
クレーン車の両端に太いロープをくくりつけ、ロープの端を車で引っ張り固定し、さらに中央部分の弛みを防ぐため、数カ所を上からロープで吊ることになった。
シートを10枚、床に置いて、上端からひもでロープに縛りつけて行った。
そのうち、私たちの作業を国鉄の人たちが手伝ってくれて、あたかも、浜で引き網漁をしている情景のようだった。少し結び終わると、合図してクレーン車を上に移動し、また、一列に並んでシートとシートを結びつけるのである。
シートの裏側から結びつけていると、表側の方でカメラを据えているカメラマンから、光が洩れるので、穴は全部結んでくれ、という注文が飛んできた。
いい具合に、国鉄には、車の床ごとボタン一つで上下できる便利な作業車、フォークリフトがあって、ツツツ……と走ってきてシートの裏側に横づけされた。
これにジンパチ氏とユウスケ君が乗って作業をしていった。
それでもまだ、それでもまだ、光が洩れるというので今度はその上から、シートの継ぎ目にガムテープを張っていった。
こうして、ようやく撮影の準備が整ったのだった。
撮影中、私たちはやることもなく暇だったので、工場を見学させてもらった。

(中略)

工場をぐるりと見学して撮影の現場に帰ってくると、いよいよ、記念の撮影をすることになった。
今日、ここで協力して下さった多くの国鉄の人々、シートの壁画制作のスポンサーである工務店の社長夫妻、そして私たち制作スタッフが全員集合して、シート壁画の前に並んだ。
皆んなでVサインを送った。

いよいよ吊るしてあるシートを降ろすことなった。
クレーン車を少しずつ下げながら地上にそっと降ろした。
そのまま地上に広げたところを、カメラマンがクレーン車に乗って、今度は上から撮ろう、ということになった。
「私もクレーン車に乗ってみたいわ」
と好奇心旺盛な私は思わず言った。
「ホントは女人禁制なんだけど」
(やっぱり、ダメか)ふと、あきらめかけたところ、
「まあ、いいですよ」
国鉄の人も笑っている。
「きゃっ、すごい、すごい」
大喜びで私はクレーン車用の階段を駆け登って行った。
ビッ!
鋭い合図音とともにクレーン車が工場の端から撮影現場までゆっくり移動を始めた。
私は、いま天井に近いところを移動しているのだ。
広げられているシートの上に辿り着くと、クレーン車は止まった。得意になって叫ぶ。
「全員、絵の周りに集まってくださぁーい!」
人間が小さく見える。車も、電車も、壁画さえも小さくみえる。
「まるでガリバーの世界だわ」
私はガリバー旅行記の小人の世界にまぎれこんだ思いだ。ふわりと置かれた子供の一枚の絵を見つけて、小人たちが、
「うわっ、何だろう?」
「どうしたの、どうしたの」
わいわい、がやがや、アリのように集まって来たように見える。
工事現場でこのシートを実際に掛けたところで、小人の世界ほどには、評判にならないだろうなぁと思う。
私の絵はさかさまに見るとなかなかいいのだ、これもまた、味があるなぁ。
クレーン車の上で、不幸にも、私は余計なことを発見してしまった。

撮影が終わると、国鉄工場の事務所でお茶をいただいて、途中で買ってきたプリンで乾杯?した。
もう、夕闇が迫る6時を過ぎていた。
「お陰で楽しかったですよ」
と国鉄の人々はたいへん親切だった。
「ほんとうに、ありがとうございました」
私たちは国鉄工場を後に、横浜の中華街を目指して、ひたすら車を走らせた。
「私は男に生まれたら、断然、クレーン車か、ジェット機か、新幹線の運転をしたい」
すっかり、かぶれてしまって、元気一杯の私である。
しかし、一同は空腹と疲労とでへとへとだったのか、ふふ、と力ない笑いを送ったのみであった。
ほんとうにご苦労さまでした!

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