初代の戦争体験の語りが、社会活動のきっかけ

【初代のこと4-3】
<4回シリーズ>

こんにちは、河合工務店です。


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〈仕口を削る初代の手。ごつごつした指に、
職人としての風格漂う〉


||インタビュー 孝会長、初代を語る||


「あの戦争さえなければ、道具が焼けなかったのに」。
これが親父の口癖だった。

空襲に備えて土に埋めたが、焼夷弾の火事で
焼けてしまったね。
ノコギリ、カンナは金属だから火に弱い。
砥石をダメにしたのは、ひどくこたえていた。
「あれだけいい道具をつくる職人は、
もういない」と嘆いてたな。


若い頃、親父からそんな話を聞いて、
戦争について、いろいろ考えるようになった。
アジアで、日本で、
膨大な犠牲者が出たことを後で学び、
衝撃を受けた。
それで、戦争や貧困のない社会を
つくりたいと思って。


結婚する前、27、8歳の頃は、社会運動をやっていた。
真面目に働いても報われない人、
貧困から抜け出せない人などを目の当たりにして、
社会の矛盾を感じ始めてね。
東京土建の組合活動にも参加して、
職人の地位向上を目指す運動もやった。
親父は、そのことについては何も言わなかった。
こちらにしても、活動で夜遅くなっても、
朝寝過ごして、仕事に遅れるというちょんぼは
絶対にしなかったしね。


一本立して、オレが社長になってからも、
あれこれと口出しすることはなかったなぁ。


(聞き手/ライター上田隆)

by 河合工務店初代のこと2021.11.19

砥石に込められた職人魂

【初代のこと4-2】
<4回シリーズ>


こんにちは、河合工務店です。

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〈刃の研ぎ具合いを見る初代〉


||インタビュー 孝会長、初代を語る||


「今の職人さんは、腕が悪くなった」
と言うのは、目が肥えている人。
そんな人さえ少なくなったかな。

昔は、家に手間暇かけた。
建て主さんも、職人も、つくった家は誇りだった。
でも、今じゃぁ工場で
加工したものを組み立てるだけ。
電気ドリルや、電気カンナでぱぱっとやる。
大工が腕を発揮するところがない。
しょうがないから、速さで競うしかない。
自然と、職人の手も荒くなる。


親父に一番言われたのは、
「道具は職人の命」ってこと。
とくに砥石は大切にしたね。
昔の砥石は「合わせ砥(ど)」と呼んでいた。
桟にはめた戸がすーっと滑るように、
砥石で研いだカンナの刃で木を削り微調整するから。
研ぎ方が悪いと、当然うまく仕上がらない。

冬、現場で砥石を濡らしたら、
そのままにして帰ると凍ってしまうので、
水を切ってボロ布でくるんだもの。

砥石は、とにかく高かった。
山から採掘する天然石でないとだめで、
半年から1年働いてお金を貯めないと買えない。
今のは人造砥石だから、精度が落ちる。
いや、近頃の大工は、刃を研ぎもしない。
「替え刃」といって、
切れなくなったら取り換えるだけ。


親父は、道具の扱いを見れば、
「この職人は大したことないな」と、
その腕を判断できた。
だから、そこらへんに道具を転がそうものなら、
殴られたね。


(聞き手/ライター上田隆)
by 河合工務店初代のこと2021.11.16

初代に、無理やり大工を継がされて

初代のこと4-1】
<4回シリーズ>

こんにちは、河合工務店です。


初代の故・河合丈夫は、一流の大工だった。
二代目の孝会長にとって、師匠で父であったこの人は、
どんな存在だったのか。

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〈左が半纏を着た初代。右が二代目〉



||インタビュー 孝会長、初代を語る||


若い頃は、船乗りになりたくて、専門学校へ通い、
無線を習ってたよ。でも、親父が大工の仕事を
無理やり継がされた。
60年前だから、職業は親が決める時代だったしね。

だから、毎日が嫌で嫌で仕方なかった。
最初3年間は、朝から晩まで現場のゴミの片付けを
ひたすらやらされた。
その上、「仕事は盗め」と、まったく教えてくれない。

教えてくれないんだから、自分で覚えるしかない。
朝は職人が来る前に来て、夜は帰った後に残って、
彼らの手がけた技を観察する。
「継ぎ手は、仕口はこう刻むのか」と
苦労しながら学んだ。


先輩の職人は、自分の腕に誇りがあり、
技を競うところがある。
それもあってか、新米には厳しい。
仕事をやればやったで、「やりなおせ」とくる。

分からないところを、教えてくれる人もいるにはいる。
でも、聞いた直後はできても、長続きしなかった。
盗んで、体で覚えたものは忘れない。
オレはもう80歳で、
40年は自分の手で家一軒建ててないが、
「今、家をつくれ」と言われたら、つくってみせるよ。


(文責/ライター上田隆)
by 河合工務店初代のこと2021.11.12

河合工務店をしっかり支えた事務20年史

【事務員から1】

こんにちは、河合工務店です。


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ピシッと片付いた事務室。
帳簿のファイルも書棚にすっきり並ぶ。
ここで事務や経理を取り仕切っている
赤理さんに、仕事について聞いてみた。

入社したのは、20年前という。
「当時社長夫人の春子さんと、
あるセミナーで知り合った
ことたがきっかけとなり、ここで働くことに。
その頃、稔社長は20代半ばで、ちょうど建築の学校を
卒業する頃だったかしら」。


大変だったのは、イベントをどんどん
開催していたとき。
山の木の伐採ツアー、チャリティバザー、
「森のコンサート」、数々の講演会…と、
ちょっと普通の町の工務店にはない数とバラエティさ。

「会長から、『伐採ツアーのポスターが欲しい』
と言われ、急いでエクセルでつくりましたよ。
今は、社長夫人の杏奈さんが、印刷所で働いた
経験を生かして本格的にデザインされてます。
イベントが始まると、
事務ができないほど多忙になるときもありますが、
手伝うのは楽しいですね。
ここ1年半は、コロナ禍で中止していますが…」。


稔社長が就任した当時を振り返る。
「その頃、会長と春子さんが、ピースボードの旅に出て、
1年間留守をしてました。
ときたま船からFAXで
『今、地球のここらへんにいるよ〜』
と伝えてこられたもの。
稔社長は、引き継いだ業務やお客さんのことを
私に確認したりで、てんてこまいでした」。


コロナ禍の期間は、通勤電車の乗車を
遅らせたり早めたりして、
ラッシュを避けつつ週3の勤務を守った。

「会社の収益は、昨年も減ってません。
今年新築はまだありませんが、改修工事が順調です」
と、帳簿を繰る。

今日も、赤理さんは
河合工務店の事務を、キッチリ整え、
こなし、回していく。


(文責/ライター上田隆)
by 河合工務店事務員から2021.11.09

新しい木の文化をつくろう

【社会活動3】

こんにちは、河合工務店です。


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無垢の端材で、
日本酒を美味にする木の酒杯を開発しよう。
そんな楽しい試みが、
河合工務店の一室で行われた。


河合孝会長が10種の木で作成した酒杯に、
さまざまな日本酒が注れる。
木と酒の香りを吟味するのは、共同企画者である
大妻女子大学の学生たちと
FBO(飲料専門家団体連合会)の方。

結論として、日本酒と一番相性が良いのは
やはり桧で、上品に味わえるとのこと。
一方で、マキが強い酒のクセを和らげる効果も発見。
また酒杯の口は、薄くなめらかなものがよいと判明。

これまでにない木の酒杯を世に発信したいと、
士気は高まる。


(文責/ライター上田隆)
by 河合工務店社会活動2021.11.05

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